それでも僕は日本人だ

今はコロナの影響で世界中が大混乱の只中にある。

4月、ミャンマーは新年を迎える。空はどこまでも深く青い。色とりどりの花が咲き、街は大勢の人で賑わう。例年水かけ祭りと呼ばれる新年のお祝いは、ミャンマー人にとって一年で最も華やかで大切な行事である。

それを見ることなく、大使館の勧告で日本に一時帰国した。

ミャンマーでは今、ホテルやレジデンス、オフィスビル、スーパー、ありとあらゆる店舗で入店前に検温され、もし37.5℃以上あれば警察に連行されてしまう。さらに夜間は外出禁止となり、日中も外出した場合は逮捕されることになったという。

連れて行かれる場所はHIVとミャンマーでは死病の一つである結核の隔離病棟だ。病院には人工呼吸器は5台しかなく、もちろん十分な治療を受けることはできない。

これまでも駐在員は骨折など、先進国では治療が簡単なものでもシンガポールやタイに搬送された。タイやシンガポールが事実上の鎖国、さらにミャンマーでのコロナの感染が確認されたことで、外国人向けの病院が次々と閉鎖し、外国人が風邪や怪我の診察を受けることさえできない状況になった。コロナだけでなく、デング熱、インフルエンザ、超チフスなどが流行る雨季の時期を前に、大使館からの帰国勧告が出さる運びとなった。

僕はコロナウイルスの影響で、外国の資本がミャンマーから完全に撤退してしまうことにも危機感を感じている。今の僕たちの社会はグローバル化が進み相互に依存する経済を目指していた。しかし、今回それを分断され内需を満たすことができない状況に陥った。

この事件はDeglobalizationを促進するのではないかと考えている。僕はそれを良くないと思う。過去を考えた時に今後戦争やテロリズムが今以上に起きる可能性を否定できない。

コロナウイルスは先進国、後進国を問わず感染する。もちろん先進国の経済損失は計りしれないものになるだろう。しかしそれ以上に国家として危機に立たされるのは先進国の資本に依存している後進国だと僕は考えている。

日本に帰ってきて、その便利さや安全さに驚いた。

食べ物も水もどこでも安全なものが安く手に入り、道端を歩いていても犬に噛まれて狂犬病になったり、転んで破傷風になったり、水たまりを踏んだら感電死したりというような危険に遭うこともない。

自分が欲しいと思ったものや不便だなと思ったことに対して先回りして必要なものが提供されており、用途別に細かく細分化され、かつ種類も在庫も豊富。とにかくものに溢れている。

「おすすめ」に従うことが最も賢明であることが誰の目にも明らかで、生活をする上で考える必要がない。ヨーロッパも含め数々の国にはない日本の大きな特徴だ。

この安全さ故か、コロナの危機を忘れて思わず気を緩めてしまいそうになる空気感があると感じた。

同時に僕自身はこの環境が僕から考えることを奪うような気がした。

今僕たちのミャンマーの生活は「足りないもの」にあふれている。100%自分の思い通りになることはまずなく、常にベストではなくベターな回答を探さなければならない。だからこそ工夫や妥協点を見つける、不足分の帳尻を合わせようと試みる。そしてそれが予想よりうまくいったとき、満足を感じることができる。

当初のベストより選んだベターの方が結果的に良かったということも往々にして起きる。

日本では電車が1分遅れただけでも謝罪のアナウンスが流れ、ショップの店員さんの説明や対応さえも非常に丁寧で適切だ。ベストを提供できるのは「当たり前」であるかのようだ。

しかし、それは決して当たり前のことではない。それを求めることで、妥協を許さない社会になってしまっているのではないだろうか。

こんなにも便利で素晴らしい国であるにもかかわらず、若者の自殺率が高いのはそうした背景に依るものかもしれない。

日本の仕事はAIが代替しやすいけれども後進国はまだ人間がやるべきことが残っていると感じた。自分は海外で学びを続けたいと改めて思った。

僕の「故郷」は今も増え続けている。それでも僕は日本人だ。

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