大きなこと、小さなこと
学校のサービスラーニングでシャン州の修道院を訪れた。修道院はMudita財団が支援を行なっている。
この施設は2年前から始まり、今では235人の生徒が在籍しており、そのうちの150人は寝食を共にしている。現地の村の子供たちの教育はもちろん、経済的な困窮、紛争、難民などの被害により、安全を保障されていない子供たちの保護も行っている。教育を受けてスキルを習得した子供たちは教師や職人などの職につくまで財団の支援を受ける。
授業に使われる教室や建物のほぼ全てが、村の木材や竹材などを使って建設され、現地の雇用を生み出している。地域の衛生、安全に対する意識改革、及財団からの資金提供による技術革新、活性化もまた彼らの仕事だ。
僕たちインターナショナル生がここに集められたのは、子供達に他の世界と接触の機会を作るため、そして現地の教員のモチベーションを上げるためだと聞いた。
現地の教職員が居眠りをしている間、放置された子供たちが遊んでいる。また、現地の修道院の寺子屋システムを踏襲しているので、読み書きのような伝統的な教育は行われていたとしても、国際社会で生きていくための考え方やアイデンティティを確立するための学びにたどりついていない。
プロジェクトリーダーの話を聞いてみると「堂々巡り」「いたちごっこ」という言葉が思い浮かんだ。
上下水道は満足とは言えず、隙間風の吹く簡素な教室や衛生上良いとは言えないトイレなど、施設は十分ではない。この村は電気を他の街から借りていて、許可なしに点灯すらできない。パソコンを始め多くの電子機器は財団から提供されている。
彼は「ある場所でゴミ山を撤去する事業を行い一年かけてゴミを一掃したにも関わらず、一旦本国に帰還して、半年後にそこに戻ってみると、ゴミ山が復活していた。」という問題を語ってくれた。同様に他の地域でも「トイレを提供しても衛生的な状態を維持できない」などという問題をよく聞く。
この施設を維持するためには月々4000ドル以上のコストがかかる。しかし、全てが寄付で成り立ち、職員が働こうと働くまいと運営は続いていく。こうしたプロジェクトはただ提供するだけでなくいかに持続させていくかが課題である。
システムそのものは未熟だが、ここには自分の将来を夢見る生徒たちが育っている。一人の子は「エンジニアになりたい」と言っていた。僕は彼に夢を叶えて欲しいと思った。
けれども経済利益を度外視した事業は得てして不安定で、非継続的だし、今は選べる職業も財団が提示できるものに限定されている。夢さえ限定されたものから与えられている。
もちろん基金で提供するということも大事だが、いかに彼らが自立していくのかについて考えるのが次のステップになるだろう。
こうした小さな問題を見ていくと、僕らは問題を大きな視点で捉え、より根本的に解決したくなる。けれども、5年、10年後の国の発展を待っていたら目の前の彼らの将来は閉ざされてしまう。
その両方が必要なことは疑いようもない。その両輪が協力できればいいが、かたや海外の基金、かたや紛争問題を抱える政府では大きな隔たりを感じた。
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